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史跡と伝説をたずねて(その7) 金丸生誕の地


 宿は民宿であるが部屋も寝具も新しいものばかりで、室内の色彩空間は和やかに調和されているのがさわやかであった。

 どの色が特にどうというものではく、室内装飾は、すべて中間色でしかも新しいものであるためか、新鮮な色彩をかもし出し、室内空間を和やかな雰囲気に満たしているのが心地よかった。

 幻想的な色彩空間の真新しい部屋で、一日を振り返ってみると、天の岩戸伝説の岩山のことがどうしても思い出される。

 古代の人々は神秘的な岩山や石に神の宿る霊場を見出し、または、そのような条件を備えた高台や山にグスクを造り、霊力を信仰し、そのことを大切にしてきたにちがいない。
 
 翌日は午前八時過ぎに伊是名の史蹟見学に出発した。最初に金丸(尚円王)生誕の地「御臍所(みふそじょ)」を見学した。そこは大きなふく木が高くのびのびとそびえ、敷地内の中心に「尚円王生誕地屋敷内みほそ所」と書かれた石碑が立てられてあった。

 伝説によると金丸が実際に生まれた所は現在の「みほそ所」の西側で、そこは以前竹藪があり、大きな石があって、その石の所が出生の場所であったと伝えられている。
 
 しかし、生誕の場所は馬小屋に近い所であったため、高貴な人の生誕地としてはまずいとのことで、尚真の代に現在の「みほそ所」は造られ、島の人々から「お庭」と呼ばれていたとのことであった。




史跡と伝説をたずねて(その6) 天然記念物の松


 岩石と霊場といえばグスクも同様である。アマミキヨの代から伝えられているという玉城や明東城は岩山の上が拝所である。

 また、グスクはどのグスクもみな石垣で囲まれており、石がなければグスクはできなかったであろう。そしてグスク内には信仰するお嶽があることも共通している。その意味で岩とか石は霊場の条件であったものと思われる。

 籠屋洞窟を見る前に田名城跡にも登った。そこは険しい山で、ロープを捕まえてやっとで登ることのできる所で、その山は岩は少ないが、頂上付近の岩の上に野面積みのグスクが造られていた。

 石は山の下から運び上げたものと思われる。それにしても何も持たないで登るだけでも大変なところにグスクは造られてあった。     

 伊平屋の旅では、天然記念物に指定されている名松、念頭平松の美しい枝ぶりの印象も強く残っている。

 久米島の五枝の松もすばらしいが、念頭平松は樹齢二百六十年余、堂々とした安定感のある枝ぶりが見事であった。その枝ぶりを近くで眺めると、和やかな情緒を感じさせてくれるから、さすが名松と称される由縁であろうか。 
         
 その外の史蹟は車窓から見ながら島を一周し、夕方舟で伊是名島に渡る途中、無人島の具志川島に立ち寄った。そこは三千年前の貝塚があり、同遺蹟を見学して、午後六時ごろ伊是名島に着いた。




史跡と伝説をたずねて(その5) 清楚な空間


 天孫降臨伝説と天の岩戸伝説に似た伝説は、伊是名の天城とアカラ(明るい)お嶽でも伝えられ、また、天孫降臨伝説は琉球古代のアマミキヨ伝説として久高島でも伝えられている。

 でも藤井貞幹が「衝口発」で挙げている伊平屋の天孫嶽と、神武天皇の出生地とは関係ないことは明白であろう。しかし、伊平屋の籠屋洞窟が、天の岩戸伝説の洞窟として注目されるようになったのは藤井貞幹の「衝口発」に起因するものであり、その功績は大きいといえよう。

 籠屋洞窟を目の前で見ると古代から伝わる神話と伝説の世界のことや、古琉球の神観念のことなどが想起され、史蹟と伝説をたずねての旅を実感することができた。その洞窟は天然記念物に指定されている。 

 岩山と神聖な霊場としては、南部の知念半島にある斎場御嶽(せいふぁうたき)が思い出される。斎場御嶽は久高島に最も近い対岸の地に当たり、アマミキヨが久高島に降臨したと伝えられていることから、久高島へのお通し御嶽として古くから信仰されてきた。

 そこから見る久高島は真東の方向に位置し、東方から昇る太陽を拝むことができるという。斎場御嶽の岩石も天然の造形の雄大さを感じさせるもので、見事に切り立った神秘的な岩石に古琉球の人々は霊場として、神を感じることのできた霊地として信仰してきたのであろう。 


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