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阿麻和利と王女を讃えた「おもろ」


阿麻和利は王女 百十踏揚を妃に迎え、人望は昇天の勢いであった。

「おもろ」に次のように讃えられている。


一 勝連の阿麻和利(勝連の阿麻和利)

  玉御柄杓(たまみしゃく) 有り居(よ)な (玉御柄杓を持っておられる)

  京 鎌倉 (京、鎌倉までも)

  此れど 言ちへ 鳴響ま (このことを言って鳴響もう)

  
王女 百十踏揚を讃えた「おもろ」は、次のとおり。

一 百十踏み揚がりや (百十踏揚や)

  けさよりや 勝り (先よりは勝りて)

  百ぢやらの 主(ぬし)てだ (百按司の主と)

  成(な)りよわちへ (なられました)

又 君(きみ)の踏み揚がりや (主のみ揚がりや)

又 首里杜ぐすく (首里のお城でも)

又 真玉杜ぐすく (崇められました)


護佐丸の権勢が琉球国王を凌駕するほどであったとしても、護佐丸は老齢である。

しかし阿麻和利は知略と行動力に富んで若者である。

放っておけば何をするか油断のできない存在と思われたに違いない。

でも国王の婿となれば王府は、安泰と思量したのだろう。

とにかく阿麻和利は王女を迎えたことで一層、人気が高まっていた。




阿麻和利 王女と結婚


護佐丸の中城城築城について『球陽』は、

「かの地は王都と相隔りて己に遙かなり、これによって王は中城の地を賜ふ。城を築き邑を営み、中城按司に遷封す」としか伝えていない。

中城は読谷より王都に近いのは確かである。だが、それだけでは、なぜ中城なのか、その本意は不明である。

護佐丸にとって中城築城は動乱をはらんだ政情不安のなか、王都を守る最も地の利を得た場所とみたはずである。

巴志没後、国王は4、5年毎に亡くなり、それにともない国費の乱費は財政逼迫となり、支配力は弱体化していた。

国王薄命による頻繁な国王交代は、政情不安を招き、中山に野心を抱く有力按司は隙を伺い勢力を拡大していたからである。

王妃の父である護佐丸は、尚泰久王の庇護者である。国王の緊急時の場合、座喜味城では遠すぎたであろう。

護佐丸は老齢であったし、中城築城は急を要するものがあったのではないだろうか。

中山王府でも阿麻和利の台頭を、如何に脅威として受け止めていたかは、尚泰久が即位すると間もなく阿麻和利と王女百十踏揚(ももとふみあがり)を結婚させたことからもうかがえる。

王府では阿麻和利と姻戚関係を結ぶことによって、琉球王国は不安の種を取り除くことができ、安泰と思慮したのだろうか。



護佐丸 中城城築城の狙いは


護佐丸の中城城築城について『球陽』は、

「かの地は王都と相隔りて己に遙かなり、これによって王は中城の地を賜ふ。城を築き邑を営み、中城按司に遷封す」としか伝えていない。

中城は読谷より王都に近いのは確かである。だが、それだけでは、なぜ中城なのか、その本意は不明である。

護佐丸にとって中城築城は動乱をはらんだ政情不安のなか、王都を守る最も地の利を得た場所とみたはずである。

巴志没後、国王は4、5年毎に亡くなり、それにともない国費の乱費は財政逼迫となり、支配力は弱体化していた。

国王薄命による頻繁な国王交代は、政情不安を招き、中山に野心を抱く有力按司は隙を伺い勢力を拡大していたからである。

王妃の父である護佐丸は、尚泰久王の庇護者である。国王の緊急時の場合、座喜味城では遠すぎたであろう。

護佐丸は老齢であったし、中城築城は急を要するものがあったのではないだろうか。

中山王府でも阿麻和利の台頭を、如何に脅威として受け止めていたかは、尚泰久が即位すると間もなく阿麻和利と王女 百十踏揚(ももとふみあがり)を結婚させたことからもうかがえる。

王府では阿麻和利と姻戚関係を結ぶことによって、琉球王国は不安の種を取り除くことができ、安泰と思慮したのだろうか。


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