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巡礼コース


琉球王国が国家的祭祀ルートとして指定した東御廻りコースは次のとおり。

1、首里城を早朝出発

2、園比屋武御嶽
首里城の守り神で昔から国王が出張の際は、道中の安全を祈、無事帰還したとき神の加護を報告した。

3、与那原親川
察度(?)のころ神女が久高島参拝の途中暴風に遭い、漂流し薩摩に漂着して薩摩の武士に見そめられ、その胤をやどして後、帰国したものの、神女が人の子をやどしたことを恥じて首里には帰らず、与那原の御殿山にこもって出産し、産湯を使ったことから同泉を与那原親川と呼ばれるようになったといわれている。

4、佐敷馬天嶽
尚巴志の祖父・佐銘川大主が伊平屋島から佐敷へ来て屋敷を構えた跡。

5、佐敷上城月城
尚巴志が中山を制覇するまでの居城。

6、知名太陽御川
日の神(太陽)の出る東方に最も近い場所といわれている泉。

7、斎場御嶽
東方の神々が久高島を経て、この地に来臨されたという久高へのお通し御嶽で、当時の国家最高の聖地。

8、久高島
沖縄開闢の始祖アマミキヨが最初に降臨した場所として琉球神話の基点といわれている。

9、知念森城
おもろそうし巻19に、「ちねんもりぐすく、かみおりはじめのぐすく、ちねんもり  ぐすく、あまみきよがのだてはじめのぐす」とあり、神降りはじめのぐすく、といわれている。

10、知念御川
知念の周辺には古くから人が住んでおり、知念御川の湧水を命の綱としていた。
国王も巡礼の際には必ずこの水で喉を潤したと伝えられている。

11、受水走水
アマミキヨが稲の種子を持ってきて、受水走水の田んぼに初めて稲を植えたといわれる沖縄稲作発祥の地。

12、ヤハラチカサ
アマミキヨが東方の神の国から沖縄島へはじめて渡来した浜。

13、浜川御嶽
アマミキヨがミントンへ移るまでの居住地。

14、玉城アマツジ城
アマミキヨによって最初につくられた部落の御嶽、国王は「東御廻り」の巡礼に毎年正月にはここに国家安泰、五穀豊穣を祈願した。

15、首里城帰還
  (『カラー沖縄の伝説と民話』より)

この東御廻りは王府だけの行事でなく、民衆も一体となって行われた神拝みの行事であった。

農閑期になると聖地付近の村々や巡礼地の沿道は、祈願用の酒、線香、花米等を持参した参拝者の往来が後を絶えることなく、賑わっていたと伝えられている。

尚巴志によって始められた聖地巡礼行事は、第二尚氏の代まで引き継がれ、250年にわたって王府と一般住民の信仰の対象とされてきた。

その後、王府では、「膨大な費用を要する」ことや「現地は僻地で国王が怪我するおそれがある」などの理由で廃止された。




聖地巡礼


ニライカナイは遙か彼方の祖先霊を信仰するものであり、そしてアマミキヨが最初にたどり着いた久高島はアマミキヨ降臨の地として聖地に指定されている。

その対岸に移住した知念や玉城には、それぞれ知念杜城、ミントン城等が神聖なグスク(拝所)として信仰されてきた。

久高島に最も近い対岸の地に当たる斎場御嶽は、久高島と最短距離にあり、久高島を経てこの地に祖霊神が来臨されたと伝えられ、久高島へのお通し御嶽(うたき)として信仰されてきたところである。

そこから見える久高島は真東の方向に位置しており、しかも岩石はそびえ立ち、樹木はうっそうと生い茂り、神々の鎮座する聖地として古くから信仰されてきたものを巴志が国家最高の聖地として指定したものである。

尚巴志は、また、祖父が伊平屋から佐敷に来て屋敷を構えた屋敷跡の馬天嶽も聖地に指定し、東御廻りの巡礼コースに包含し、王府による国家的祭祀ルートとして確立し、祖霊神を崇拝した。

その後、国王の巡礼に際しては300人以上の家来と100人以上の神女が従って隔年毎に行われた。

だが、久高島参詣は何年かに1回かの割で参拝されていたようである。

東御廻りの日程は、2〜3日であったが、久高島への場合は7日間位の日程を要していた。





ニライカナイ信仰


東御廻りは、南部の知念、玉城、佐敷、大里の4間切。

久高島は首里王城の東方に当たる場所で、そこには知念杜城、斎場御嶽、浮水走水、ミントン城、知念太陽御川、玉城アマツジ城等、古代からの聖地があるところ。

これらの聖地巡礼行事として巴志は、新たに馬天嶽、佐敷上城なども巡礼の聖地として組み入れ、東御廻りコースを確立した。

久高島は沖縄開闢の始祖アマミキヨ降臨の地として琉球神話の起点をなしている所である。

アマミキヨ族は沖縄に稲作や穀物をもたらした最初の農耕民族であった。

彼らは何処からともなく海の彼方からやって来て、久高島にたどり着き、長年定住するうち対岸の知念半島に移り住むようになり、やがて稲も彼らによって栽培された。

沖縄に最初に稲が栽培された土地が百名の浮水走水である。

知念、玉城、佐敷、馬天はいずれも久高島の対岸に当たる所で、アマミキヨ族が農耕を中心とした古代村落をつくり、やがて天孫氏の支配する古代村落共同体を発展させたところであり、アマミキヨゆかりの地である。

ニライカナイの信仰は、そのころから受け継がれてきたものであろう。

ニライカナイは「海のはるか彼方にある理想郷」を意味していた。

そのため古くから海の見える小高い丘に奇岩がそびえ、樹木が生い茂った所には祖霊神が鎮座する聖地として信仰されてきた。

また、クバの木に祖先霊は降臨しているものと信じられていた。



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