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明国皇帝に謁見した琉球の使節団


大和殿における謁見の式は、礼部の案内によって正使、副使が先ず着座。

その後に都通事、正使々賛、副使々賛等の随員二十名が琉装で正装して着座。

皇帝に礼拝(三跪九叩頭)の儀の後、方物が献上され、謁見の式は終了する。

謁見の後、皇帝より盛大な歓迎の宴が催され、使節一行全員に拝領品が階級に応じて贈られた。

一行は役目を果たし、福州在留と合流し、交易品を満載して6〜7月の南風が吹くころ福州から帰国の途についた。

帰国に際し、礼部から帰航用の食料、150名の半月分が支給されての帰国である。

朝貢の経費は明国の援助によってなされたものであり、世の主にとって名を捨てても実を取ることが繁栄をもたらすものであった。

明国から支給された船舶は、察度のころから巴志の代まで三十隻が支給されている。

大国からの援助によって大交易時代をむかえたものといえる。




琉球の使節一行  国賓として歓迎


大和殿へ向かう陸路のとき、正使、副使は轎に乗り、随員は馬か車に乗り、各省の護送武官に守られ各関所を通過する度ドラが打ち鳴らされ、祝砲が打ち上げられ使節一行は大歓迎された。

そして水路の場合は船で景観を眺めながら北京に向かい、船には楽器奏者による優雅な調べが一行の旅情を楽しませてくれた。

風光明媚の大陸の大自然の美観を眺め、中国の名曲を聴きながら水路の旅は、一行の旅情を堪能させたことであろう。

明国の好意的な配慮である。

宿舎は国賓用公館が用意され、一行を各省で国賓として歓迎された。

福州を十月上旬に出て、四十四余日を経て十一月末、北京に到着。

その道のりは6千里余りといわれている。

北京に琉球館はなく、一行は公式日程が終了するまで約四十日間、明朝廷の客亭で歓迎された。

皇帝に謁見する大和殿は、総門を入ってから7つの門を通過し、やっと到着するという広大なもので、その周囲は9里程もあると伝えられている。

宮殿は壮麗をきわめ、大国の雄大な規模と皇帝の強大な権威を見る思いがしたことであろう。

謁見の席次は、朝鮮、琉球、安南、その他の順であった。

日本はその頃、足利義満将軍の代であったが、明国との国交はなかった。




福州の琉球館


朝貢物資を積み込んだ船は二隻からなっていた。

頭号船には使者や随員等120名、二号船には7○名程が乗り、約二百名近くの人員で、4〜5月の東風が吹くころ那覇港を出港し、久米島で仮泊。

順風を待って一気に中国の福州、五虎に直行する。

順風に乗れば6〜7日の日程で福州の五虎に入港できた。

五虎では船改所があり、琉球国進貢の手続きを済ませ、福州在の琉球館(巴志の晩年につくられた)に向かった。

琉球館に到着した一行は、福州の主要な高位高官、将軍、部院都堂、布政司、按察司等二十余名の文武官等を訪問。

十月上旬、正使、副使都通事、北京大筆帳、正使々賛、北京総官等約二十名は、皇帝謁見のため、北京に向かう。

残りの者は一行が帰るまで琉球館で滞在し、その間、才府官、官舎使、筆帳、在船通事、在留総官等は交易品の買い付け等の任務についていた。

北京に向かった一行は延平、建寧、衛州、厳州、杭州、嘉與、蘇州、鎭江、揚州、山東等を経由。

建寧から衛州までは陸路で行き、厳州から揚州までは川を遊覧しながらの船旅であった。




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