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首里城・王城公園整備


巴志の王都づくりの基調は、平和国家、文化国家であったであろう。その表れは王城公園であり、港湾整備であった。

諸国の交易船が自由に往来できるよう港湾を整備し、諸国との交易を積極的に推進することであった。

万国津梁の構想が示されたといえる。

そして首里城の拡大は琉球国王の居城として、美観と偉容を内外に誇示するだけでなく、琉球の王都は首里城であることを示すものであった。

王都は、かつて英祖王以前までは牧港が交易港として栄えていた。

しかし、英祖王のころからは那覇港や泊港が海の玄関として主要な港として役割を果たしていた。

その後、中国との交易がはじまり、中国の航海者たちが那覇港や泊港を利用するようになってから那覇港を拠点とするようになっていた。

特に浮島には三十六姓の移住者が定住し、造船や船の修理等にも都合が良かったはずである。

交易港としての那覇港が見直され、従来の牧港にとって変わる良港であったのである。

交易立国を国是とした巴志は、港湾整備を行い、那覇港内にある小島に交易物資を保管する御物城を築き、対岸には硫黄を貯蔵する硫黄城を築城した。

そこに交易物資全般を管理する鎖側を置き、物資の管理を担当させた。

このようにして首里城及び王城公園・港湾整備等は7年の歳月をかけて完成された。

その完成を記念して明国皇帝から「中山」の額が贈られ、当時、首里城の入口にかけられていたと記録されている。





首里城の本格的築城


巴志は北山討伐後、首里城の本格的改築と王城公園の造営に着手した。

琉球国王の居城にふさわしい壮麗な首里城の全面的建て直しと、城内の拡大及び外苑の整備に7年の歳月をかけ完成させた。

王城公園造営は、国相懐機に命じて造らせた。

安国山樹華木記によると、

「永楽丁西(14年)国相懐機は王命を奉じて、天京に朝し中国の礼楽文物の盛んなるを見学し、名山大川の壮大なるを見て帰国、首里城に安国山を築き、北には池を掘り、南には樹木を植え、舞台をつくり、政暇遊息の所となす…」とあるように、

懐機は巴志の命を受け、北山討伐の翌年、中山の使者として北京に行き、中国の礼楽や文物の盛んな様子を見学して帰国後、首里城築城に着手した。

王都の整備を目指す巴志は、外苑に種々の名木や果実の樹々及び草花等の芳草を存分に植えさせた。

北側には竜潭池を掘り、訪れる人々を和ませるに充分な王城公園をつくり、王都にふさわしい都市づくりをすすめた。

巴志は首里城築城と併せて那覇港の整備も進めた。

沖縄にとって文化や富、繁栄は海の彼方からもたらされるものであり、交易こそ立国のすべてであった。

良港が如何に重要であるか、佐敷按司のころ馬天港や与那原港を見て育った巴志は、港湾整備の重要性を感じていたことだろう。

那覇港の湾内の小島に交易物資保管所の御物城(おものぐすく)を築き、対岸には硫黄貯蔵用の硫黄城を建て、交易物資を管理する鎖側(ざしのそば)を置いたのもそのころからである。

首里城造営と港湾整備は首都整備を兼ねた一大事業であった。




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