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はじめに


尚巴志は1393年、21歳の頃、佐敷按司として父、苗代大親から佐敷間切(村)の経営を任され、与那原、馬天の両港を交易港として、農具や生産用具などの鉄器類の輸入に努め、佐敷領民から信望を集めていた。

31歳で島添え大里を併合し、中山制覇の足がかりつくり、3年後、1405年、中山王武寧を打倒し、中山王となった。

それから10年後には、北山を討伐し、さらに南山を平定。百有余年続いた三山対立の時代に終止符をうち、琉球国を統一した傑出した武将であり、偉大な国王であた。

巴志は察度の開いた大陸との交易を受け継ぎ、交易立国を国是とし、明国との朝貢を拡大するため、日本、朝鮮、南方諸国との交易を推進し、大交易時代の基礎をつくった。

交易の拠点、那覇港を整備し、交易物資を保管する御物城や硫黄城を築き、これらを担当する鎖側と呼ばれる管理職を新たに創設配置し、交易物資を管理させた。

また中国から渡来したとみれる人物、国相・懐機の影響を受け、道教に帰依し、領民の平安、五穀豊穣、航海安全などを祈願する天妃宮などの諸堂廟を那覇に建て祈願所とした。

そして柴山の申し出による寺社仏閣建立を全面的に支援し、仏教文化の高揚をはかった。

三山平定後は、王城公園造営として首里城を大規模に整備拡大し、王城にふさわしい、「守礼の邦」づくりを推進し、68歳で死去した。

巴志没後30年を経た尚徳王の代、重臣・金丸を支持する革命勢力に滅ぼされた。

尚巴志は、どのような時代に風雲児として登場し、三山を統一していったのか、そして、その王統はどのように滅びたのか。

時代背景をみることにより巴志の業績の一端でも理解しようとつとめたものである。

この物語は、『沖縄の夜明け・第一尚氏王統の興亡』として、昭和61年に自費出版したものであるが、現在では一部の図書館でしか見られないので、琉球歴史の理解にいくらかでも役にてればとの思いから、一部書き直したものである。


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