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史跡と伝説をたずねて(その9) 旧伊平屋


 旧伊平屋は伊平屋島と伊是名島の総称であった。
 
 そこから第一、第二尚氏の王統がどうして出たかということについて、旅の案内役を務めた講師の名嘉正八郎氏は、「大きな島、八重山や宮古島から琉球国の支配者が出ないで、なぜ旧伊平屋島のような田舎から第一、第二尚氏の系統が出現したかということは、沖縄の文化は南からの影響というよりも、主として北の影響を受けた。つまり西九州との関係が深かったと考えられる。」と説明していた。

 さらに「旧伊平屋島は沖縄本島の表玄関であった」と想定し、旧伊平屋の具志川島の貝塚から弥生系土器や奄美系土器などが多数出土していること。

 そして伊江島の具志原貝塚からの弥生系土器や、恩納村熱田貝塚からは長崎、佐賀両県産の石鍋が出土していることなどを挙げ、「西九州との往来が盛んであったということは、表玄関旧伊平屋に、土器文化だけでなく農耕文化、鉄器文化などの、つねに新しい文化を身につけた人が来て、あるいは帰り、あるいは定着した。」と説明していた。    

 また、第一尚氏と第二尚氏とも旧伊平屋から追われたことについて同氏は、「金丸の叔父や叔母が旧伊平屋島伊是名村と仲田村に実在していたということは、少なくとも二、三代先が旧伊平屋島に定住していたことを意味する。

 しかし、第一尚氏系統の佐銘川大主が旧伊平屋を追い出され、第二尚氏の始祖、金丸もまた同じく伊是名島諸見を追い出されたことは、両氏とも本来土着の百姓ではなく、なじまない『何か』を秘めていたのではなかろうか。」と話していた。





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