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史跡と伝説をたずねて(その8) 国王になった金丸の過去


 金丸の出生地に、一人では動かすことのできない大きな石が一個あったということは何故か印象に残る。

 尚巴志の出生地、佐敷の苗代大親の庭にも月代(つきしろ)という石があって苗代大親は、その月代の石を信仰していたというから、屋敷に大きな石があったということは、どこか共通している。

 尚巴志が誕生したとき、おもろ詩人が月代の石に向かって尚巴志の誕生を祝福し、讃えたという「おもろ」がある。

 また、最後の北山王、攀安知(はんあんち)は今帰仁城が落城したとき、信仰していた霊石を千代金丸で十文字に切り付け、最期を遂げたと伝えられていることからみても、当時、霊石を信仰していたことがうかがえる。 
  
 金丸の生誕地の次は、金丸が島を追い出される元になった逆田(さかた)を見学した。そこは湧き水が出るすぐ下にあり、段々畑のようになっているところであった。

 田圃には稲が青々と生長していた。私が見学した頃、小学生の体験学習用に利用されているとのことであった。

 金丸が青年のころかんばつで島の人たちの田圃はみんな水がなくなり、水田ができなくなっても金丸の水田だけは、水がなくなるこはなかったようだ。

 そのため村人から水泥棒と怪しまれ、結局島を追われて妻と弟を連れて国頭に逃れたと云われている。

 国頭の宜名間や奥間を転々とした後、越来王子、尚泰久に能力を認められ、尚思達王の下で家来赤頭(あくかべ)に推挙され、その後、尚泰久が王位に就くと重臣に抜擢され、尚徳王のときクーデターで国王となり、尚円王と名乗って第二尚氏の祖となった人物である。






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