カスタム検索

史跡と伝説をたずねて(その3) 天の岩戸伝説


 佐銘川大主は佐敷村で大城按司の娘を妻にむかえ、長男をもうけたのが苗代大親で尚巴志の父に当たる人と伝えられている。
 
 したがって尚巴志の祖先が伊平屋島出身といっても屋藏大主一代きりで、その前は大里按司(後の南山王)が家元であった。       

 今回、伊平屋島に行くまでは、第一尚氏王統の祖先の史蹟を見学することに関心を持っていた。そのため他の史蹟にはそれほど興味はなかった。

 しかし、籠屋(くまや)洞窟の前に立ち、天の岩戸伝説のことを想像すると、籠屋洞窟が伊平屋島では何故、天の岩戸伝説と云われるようになったのか、そのことについての興味も急に強くなってきた。 
   
 伊平屋島の天の岩戸伝説は、徳川時代の学者藤井貞幹が、伊平屋島にアマミ嶽という天孫降臨嶽があることを聞き、天の岩戸伝説でいうところの高天原の天孫降臨の地は、伊平屋の天孫嶽と推定し「神武天皇は伊平屋で生まれ、そこから東征に上がった。」との内容の「衝口発」という著書を発表し、同じ徳川時代の学者本居宣長を憤慨させたと云われている。
                        
 伊平屋島にこのような伝説の洞窟があることは知っていたが、単なる洞窟というイメージだけであった。しかし、実際に来て見ると雄大にそそり立つ岩壁は、何千年も昔から、そのまま現在まで伝わってきたとは思えないほど新鮮な色彩を放っていた。

 岩山を垂直に削ったかのような岩肌の色は、薄茶色と灰色が交ざって海岸近くでそびえ、下から見上げると岩山全体が神秘的な洞窟を内包し、霊場的に造形するために用意されたかのような感じさえした。




にほんブログ村 歴史ブログ 琉球・沖縄史へ
にほんブログ村
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。