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沖縄と琉球 (その7) 琉球と南島


 楊祥が琉球に侵攻する際、海事に詳しい部下の一人が「しばらく澎湖島に駐屯し、水勢地理を観察して、それから兵を進めても、遅くはない」と進言したという。

 つまり「澎湖諸島は琉球と相対す」とか琉球と澎湖諸島は、「煙火を互いに望む」と中国の史書で云われているほど、琉球は澎湖島の近くにあげられている。その琉球とは台湾である。

 また、その後、1297年、英祖王のころ、張浩と張進が琉球に遠征し、島民百三十人を捕虜にして帰ったといわれている。その琉球も、これまでの状況や、範囲を越さない限り、台湾と解するのが自然であろう。
         
 遣唐使の時代、台湾は琉球と呼ばれ、沖縄諸島は南島と総称されていた。阿児奈波の名が見えるのは、鑑真の東征伝からであった。

 そして、沖縄の島々は、遣唐使船が南島路を通っていたころ、歴史に島々の名前が散見され、また、大和との往来の様子もうかがえる。

 だが、遣唐使船が南島路を停止されると、沖縄に関する記録は途絶え、舜天が即位するまで、歴史の空白は続く。




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