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沖縄と琉球 (その6) 遣唐使時代・南島の島々


 智証大師伝の流求よりも百年前に、鑑真が遣唐使一行と共に、沖縄に寄港しているので、智証大師伝の流求は、沖縄でないことが分かる。

 遣唐使の時代、南島の島々は、遣唐使船が寄港した場合、水や食料を補給しやすいように、島々に島の名前や、港のある場所を明記した標木を立て、帰国の目印にしていた。

 そして、南島の島々からは大和朝廷に南方の方物を献上し、多くの島人が位を受けていた。したがって、大和の人から恐れられていた食人国の琉球でないことは明らかである。

 智証大師伝よりも、四七年前の八◯四年、空海が唐に行くとき、「唐の観察使に贈るの書」で、「凱風(南風)朝に扇いでは、肝を耽羅の狼心に推(くだ)き、北風夕に発(おこ)りては肝を留求の虎性に失ふ」という留求も沖縄(琉球)でないことが分かる。

 台湾を琉球と称していたことが明らかになってくると、英祖王の時代(一二九二年)、元の楊祥が軍を率いて琉球に攻めてきたとき、琉球は果敢に戦ったので、元軍は、そのまま引き上げて帰ったといわれている。

 その琉球は、従来、沖縄と思われてきたが、沖縄でなく台湾であることが明らかになってきた。 





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