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沖縄と琉球 (その5) 遣唐使時代 台湾は流求


 遣唐使のころ、日本でも台湾は琉球と呼ばれていたことを知る地図がある。森克巳著の「遣唐使」に、遣唐使入唐路という地図がある。その地図によると、台湾は流求と書かれている。

 そのことは、当時、台湾は流求と呼ばれていた証拠であろう。

 その地図は、いつごろ書かれたものか定かでないが、地図に石垣島は信覚、久米島は球美、沖縄本島は阿児奈波(あこなは)などの名前が見えるので、遣唐使時代のものと思われる。

 ただし、遣唐使時代の中期に、沖縄諸島を経由していたといわれる南島路の航路は見えず、奄美大島から直接中国大陸に向かった南島路は見えるので、遣唐使末期か、または、末期よりそれほど遅くない時代に書かれたものと推測される。

 屋久島は夜久と書かれている。いずれにしても奈良時代、大和で台湾は流求と呼ばれていたことを示したものであり、流求を解明する上から重要な地図と考えたい。     

 遣唐使のころ、台湾は流求と呼ばれていたことは、智証太子が唐の商人の船に便乗して、入唐の途中、暴風に遭って流求国に漂着した話なども挙げられる。

 その流求国とは、沖縄ではなく、台湾であることは、東恩寛惇の「夷邪久と琉球」で明らかにされている。






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