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沖縄と琉球 (その4) 台湾・沖縄の混同


 一方、沖縄らしい点としては、鉄は少なくガジュマルの木や、猪、鶏が多く、哀調を帯びた歌舞、音曲のことや、山の神、石の神を信仰する風習などが挙げられている。
 
 その他、女性の手に入れ墨をしていたということは、むかしの沖縄の女性の手に、ハジチといわれる入れ墨をしていたという風習を、思わせるようなものもある。しかし、また、東南アジアを思わせる状況も挙げられている。
 
 このように隋書の流求伝には、沖縄らしい風習もあれば、また、台湾と解されるところもあり、基本的には台湾をさしているが、琉球をはじめ、他国の風聞や伝聞が編者によって混入されたことが考えられる。また、逆に琉球をさしているが、台湾や他国の伝聞が誤って混入されたことも推測できる。

 伊波普猷は風習に関しては、沖縄説であるが、隋の時代、二回流求への遠征が行われたうち、一回目は台湾で、二回目は沖縄であった可能性もある。と指摘し、折衷説を述べた。 当時の中国では、台湾も琉球と称していたから、台湾へ遠征しても琉球であり、また、沖縄から持ち帰った物も、琉球からの物であることに変わりはない。

 したがって、隋書で云われている流求から持ち帰った布と甲を、倭国の使者、小野妹子に見せたところ「これは夷邪久(いやく)国の人の用いるものである」と答えたという。そのことは、たしかに琉球(沖縄)の人が使用していたものであろう。

隋書の流求伝の流求については、まだ、解決されていないが、ここで取り上げたのは、台湾も琉球と呼ばれていた事実があるということである。




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