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沖縄と琉球 (その3) 沖縄説・台湾説


 ところが、その後、隋書の流求伝について、沖縄説と台湾説に見解が分かれた。

 伊波普猷は、「南島古代の葬制」で食人の風習について「陳侃が『隋書』にあるのとは違ふと書いてあるからといって、生蕃ものと早合点するわけにもいくまい。」と述べ、沖縄説を説いた。 

しかし、東恩納寛惇は「隋書の流求は沖縄にあらず」または、「隋書の流求は果たして沖縄なりや」で台湾説が定説であることを論証し、伊波説との相違を明確にした。そのことは東恩納寛惇全集で詳細に述べられている。 
                
 沖縄説と台湾説に分かれているが、琉球と台湾の混合説(折衷説)を示唆するものとして、松本雅明著『沖縄の歴史と文化』は、次の通り述べている。


 このような記事のうち問題になったのは、動植物の種類、戦闘の時の食人、王の宮壁下の髑髏などである。後者は沖縄ではなく、むしろ台湾の高砂族の風習とみられたのである。熊、罷、豺、狼などはたしかにいないし、昔いたかも疑わしい。ことに熊罷はそうで、化石骨も発見されていない。
 また植物にも今ないものがある。ことに戦闘を好み、戦死者を食うとか、その髑髏を王にたてまつるとか、殺した相手を神に祭るとか、王宮の壁下に髑髏をあつめるとかいう風習は、のちにはみられない。
 ことに最後の風習は台湾の高砂族に近代までみられたので、流求を台湾とみる説の一証とされたわけである。
 つまり、流求伝の記事について、「伝聞の誤りや、他国の風聞の混入、編者の解釈や想像がはいっていることは否めないと思う。しかし、基本において流求をさすことは誤りないと思う。」と述べている。
        (『沖縄の歴史と文化』より)

 たしかに沖縄に生息していない動物などが挙げられている。これらの動物が台湾にいたのかどうかは知らないが、当時の中国では、台湾も琉球と総称していた事実があるので、琉球という場合、必ずしも沖縄とは限らない。


  



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