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沖縄と琉球(その1)隋書の琉球伝


 琉球の名前が、むかしの史書に見える場合、ときには台湾であったり、または、琉球なのか、台湾なのか、意見が分かれている場合があり、必ずしも沖縄とは限らない。それらの背景には、台湾も琉球と称していた事実があったことが要因のように思われる。  
 
 まず、琉球の名が歴史に最初に見えるのは、隋書の流求伝であるが、その流求について、沖縄説、台湾説、または、沖縄と台湾の混合説に分かれている。なぜ、そのように説が分かれているのだろうか。

 隋書の流求伝には、沖縄らしいところもあれば、むかしの台湾の風習と解されるところもあり、また、他国の風聞の混入や、伝聞の誤りなどが考えられ、どちらかの一方でなければならない、という訳にはいかないようである。
          
 沖縄が外交上、琉球国として歴史に見えるのは、察度王の時代、中国の明の太祖に進貢した1372年からであった。それ以前の中国の史書に見える琉球・流求・留求・溜求などは、たいてい台湾である場合が多い。

そのことは中国では明朝以前までは、台湾以東の島々を、琉球と総称していたためであろう。

 琉球と台湾が混同されていることに、早くから気づいていたのは、冊封使として来島した陳侃(ちんかん)であったにちがいない。

 陳侃は冊封使として琉球に来島するに際し、琉球に関する文献を調べ、実際に琉球(沖縄)に来て見ると、隋・唐・五代・宋・元の時代に書かれた琉球に関する記述内容は、沖縄の風俗や習慣と、大きく異なることに驚き、そのことを指摘している。






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